タイラより発信中

映画と漫画と総務の知識。

村田沙耶香さんの「コンビニ人間」おもしろい。

村田沙耶香さんの「コンビニ人間

を読みました。

 

では、ネタバレありますが。

 

とりあえず本屋で読みやすそうだったから

買ってしまったのですが、

実際読みやすく半日もかからず読み終えてしまいました。

 

現代社会と言うか、

いつの時代もいる「変わり者」とされる人間の疎外感

周囲の人間との壁がテーマになっています。

 

コミカルなやりとりの末にある、

社会の安定と秩序に隠れた

薄らとした肌寒い絶望感。

またその絶望感は誰もが持って感じている恐怖。

そんな読後感が味わえます。

 

舞台も卑近なコンビニで作者が今も勤めているだけあって

細かな描写がリアリティとして伝わってきます。

 

コンビニと言う誰もが立ち入る共通空間かつ、

いい年をしてコンビニバイトと言う

主人公の変わり者さを表現する舞台装置として

うまく機能しているように思いました。

 

個人的に思うにはこれは主人公が

アスペルガー症候群とか発達障害とか、

言いたくなりますが

そういう考え方をするのは

とてもつまらなくなってしまうのでやめました。

 

自分が変わり者じゃない立場の人は

知り合いの変わり者の方を思い出して、

 

変わり者の方の人間は

自分を重ねて読むとなお面白いし

絶望を味わえて良いのではないかと思います。

 

ではなぜ絶望を味わうかと言うと、

結局主人公も周囲の人も

この物語では変われずに終わるからです。

 

フィクションでは物語は変われたり成長したりして

結果を得てハッピーエンドを迎えます。

そこに救いのカタルシスを感じます。

 

しかしこの物語はラストを読んでみて思うのは

本人は幸せだけれどおそらく主人公の古倉さんには

 

家族が望むようなハッピーエンドは訪れないでしょう。

訪れないからには周囲の家族にも、

作中で妹がよく姉の心配をして泣いているように

望むような幸せは訪れないでしょう。

 

その変われずに終わる選択を古倉さんは、

我慢できず嬉々として選びます。

愛する家族がどうしても社会に入れない悲しみと

家族が悲しんでいるのはわかっていても

そうはできない悲しみ。

 

そして最後に現実と同じように変われない結果を迎え、

続いていく。

答えは見えない。

 

カタルシスは訪れず、

現実の残酷さに近い表現となります。

 

古倉さんがあの後白羽くんと結婚したという仮のラストを想像すると

よい対比になるかもしれません。

 

が、逆説的に言えば古倉さんの立場から言えば

「本人が幸せなら周りと違ってもいいじゃないか。」

と言う価値観の希望も提示してくれます。

 

実際人生はそういう面も多分にあります。

 

そこでもまた周囲の人間との価値観の壁が見えてきます。

 

程度の差こそあれ、

読者の身の回りにもよくある事だと思います。

そんな多様化した社会と価値観の問題と見せかけて

白羽くんが言うように縄文時代から変わらない

人間社会の集団の

マジョリティとマイノリティの壁

まざまざと考えさせられました。

 

おもしろかったです。